Masumi Dialogue
vol.05

名もなきものにも光を当てて
とらわれない料理を生み出す

これからの時代に求められる「豊かさ」とは何なのでしょうか。さまざまな分野の方々との対話を通じて、その答えを探っていきます。

今回は、長野県の茅野駅近くで「無名(むみょう)」を営む料理人、唐木正文さんを訪ねました。茅野市と宮坂醸造がある諏訪市は隣接していて、文化圏を共有している地域です。唐木さんは昨年、長野県の食材にフォーカスした料理を出したいと、店のコンセプトと名前を変更。専門の日本料理にこだわらずに、挑戦を続ける姿勢に宮坂は大いに刺激を受け、大吟醸のリニューアルに際しても「無名にしっくりとなじむ酒」がひとつの指針になったといいます。唐木さんがどんなことを考えながらこの地で料理をつくり、生きているのか。しつらえや流れる時間もしっとりと心地よい店内でのインタビューです。

唐木正文(からき・まさふみ)

料理人。合同会社グッドダイニング代表。1973年長野県下諏訪町出身。大学卒業後、魚を扱う商社で働いたのち、都内の料亭で7年間修行を積む。2008年に茅野駅近くの古民家で「和食 から木」を開店。2021年には、和食のジャンルにとらわれず長野の風土を表現するため「無名」に店名を変えて再オープンした。現在は「菓子無名」も展開。ホテル「萃 suiー諏訪湖」のメニュー監修、調理指導なども行う。
https://mumyo.jp/

    
    

私が諏訪に帰ってきたのは2013年なのですが、それから周辺の飲食店にいろいろと足を運ぶようになりました。なかなか、これだ! という店に出合えなかったのですが、あるとき「和食 から木」の話を聞いたんです。

初めて唐木さんの料理を食べて驚きました。茅野駅の近くに風情ある古民家が出現するのも驚きだし、なんといっても高い技術に裏打ちされた料理が出てきたのですから。遠く離れた海外や東京で真澄を飲んでいただくのも嬉しいのですが、この土地に来て、楽しんでいただきたい想いもあります。そういった意味で、唐木さんがいれば大丈夫だと思えたんです。そもそも、唐木さんはどうしてこの土地でお店を開こうと思ったのですか。

唐木正文さん(以下、唐木): 帰ってきた理由は、偶然なんですよ。私の父親がこの物件を手に入れて「店をやるのにいいだろう」と半ば強引に私の店がここにできてしまった。それがなければきっと、東京かどこかで店をやっていたと思います。

    
    

そうなんですね。どんなコンセプトの店にしようと考えていたんですか。

唐木:現在の店の前身である「和食 から木」を開店したのは、2008年の10月だから、14年前ですね。そのときは、地元の人に愛されるお店にしたいと5千円のコースのみに絞ってやっていました。

宣伝もしなかったから3ヶ月ぐらい全然お客さんが来なかったんだけど、春になってこの地域に別荘がある人がチラホラ来るようになって、ちょっと忙しくなって。ただ、「安くておいしい」とか、「おいしいけど安い」っていう感じ。今思えば、そういう意識でお客さんが来ていたと思います。

でも、5千円でやっていると、だんだん、もっといい材料を使っていいものを出したいと考えるようになりました。自分の出したいものと、やっていることの乖離が生じていて、それがすごくストレスになっていたんです。

お客さんの助言もあって、8千円、1万2千円、1万5千円の料理でやってみて、10年ぐらいかけてだんだん幅を増やしていって、当初の5千円はやめました。去年までは8千円、1万2千円の2つの価格で落ち着いていたかな。でも結局、「おいしくて安い」から抜けられていない感じがあって、去年の初めからコースを一本化しました。「有名な産地で採れた蟹や鮪、松茸などの高級食材を使っているのに安い」とか、そういう価値観で計られることから自由になりたかった。

自分がやりたいことは何かといったら、「ちゃんとした材料をちゃんと調理して、できたてで食べてもらう」こと。コースを一本化するタイミングでお店の名前も変えました。「無名」に込めた想いは、食材の名前は関係なく、価値を感じてもらいたいからです。  十数年お店をやってきてあらためて思うんだけど、長野県っていい食材の宝庫。他にないものがあるんです。

「日本一」というタイトルやブランド名がつかなくても、この土地で育っている。名前はないけど、ここでしか食べられない。そういうものが価値なんです。名前のあるものを使わないから無名。

長野県の名前のない良いものに価値を与えて、その価値をお客さんにわかってほしい。だから値段も安くしないし、原価ありきで、料理の値段を決める。ブランドのものだから、1人3万円でいいよねということじゃないんです。そのためには、無名で食べて過ごす時間に価値がないといけませんから、出す酒や使う器、接客も大事です。また、フードマイレージを減らすなど、環境や人に負荷をかけすぎない方法も考えていく必要があります。無理して遠くから取り寄せる、無理して温室で育てた野菜を使う、そういう不自然さはなるべく手放していきたいです。

    
    

長野県内で見つけた、光が当たってないけどいい食材にはどんなものがありますか。

唐木:冬だと熊、猪、鹿などのジビエですね。意外なところでは、長野県でもすっぽんを3年かけて養殖している人がいたり、松本市には、種も全部自家採種して無農薬無肥料で野菜を栽培している人がいたり。

例えば、ゴマは99.9%が外国産だけど、その人が育てたものを去年から使っています。確かに粒も小さいし、香りもいわゆるスーパーで売ってる胡麻とは違うけれど、そういう食材をここで食べることに価値を感じてもらえたら。

「誰」というわけではなくても、おいしい野菜を育てている人はたくさんいますしね。あえてその人たちの名前をブランドにしようとは思いません。もちろん、お店にきた人が「誰が育てているの?」と興味を持ってくれたらきちんと紹介します。

身近な人から海を越えた国の人まで
料理を喜んでくれる人のために

話は遡りますが、もともと唐木さんが料理人になったのはどうしてですか。

唐木:料理は子どもの頃から好きだったんです。母親がすごく料理上手で、よく手伝いをさせられていたし、料理の本が山ほどある環境でした。料理本を見ておいしそうなものを作って家族に食べさせると、必ずおいしいって言ってくれるでしょ(笑)。それが嬉しくて、小中高とよく作っていましたね。料理に興味はありつつも、英語の通訳者になる夢があって東京の大学へ。ただ、卒業後は魚の市場をやってる商社に就職しました。4年間働いている間に、魚のさばき方を含めいろいろと学べたのはよかったですね。そのうちやはり料理の仕事をしたくなって、会社を辞めました。

20代半ばを過ぎて料理の世界に入ったとすると、調理の専門学校を出てすぐ修行にいく子たちに比べたら、遅いスタートですよね。

唐木:7、8年くらい遅いかな。でも、社会人の経験から、仕入れの方法や食材についてはいろいろと知っていてよかったこともあって、アドバンテージはあった。たまたま入ったお店ですぐに2番手になれて、そこで7年ぐらい勉強させてもらうことができました。

日本料理店で修行をしたのはどうしてですか。

唐木:フランス料理、イタリア料理、日本料理、中国料理のなかでどれができるか考えたら、外国の料理は言葉をしゃべれないし、始めるのが遅い気がしました。でも、日本料理だったら、家で母親がつくるのを見ていたし、だしのとり方も知っているから、一番早く取り込めるだろうなって。崇高な想いがあったわけでも何でもないんですけど……。

唐木さんの料理は、日本料理がベースにありつつも、もはや食材も調理法も、その枠にはまっていませんよね。ここにも生ハムスライサーがありますけれども、料理そのものから好奇心と行動力を感じるんです。唐木さんは昔から好奇心がある方ですか。

唐木:好奇心はあるけど、引っ込み思案でしたね。でも、やりたいと思ったらやらないと気が済まない性質ではある。新しい調理器具が出たら、とりあえず買って試してみたい。科学実験みたいな料理をしていたこともある。だから、新しいもの、変わったものにも手を出すけれど、結局自然な方へ戻ってきています。

行動力といえば、日本中の生産者や料理人とネットワークがあるし、コロナ禍になる前は海外のレストランとコラボレーションをして料理を振る舞うこともしていましたね。地元の食材を大事にしてきちんと根付いていながら、そういう尖ったこともしている行動力に刺激をもらうんですよ

唐木:しばらくやってないなぁ。2020年にはカナダに行って、レストランとコラボ、学生への講演、包丁屋さんで包丁の使い方をデモンストレーションして……みたいな予定があったんですが、コロナで中止になっちゃって、残念ですね。みんなにおしなべて喜んでもらうのは、無理な時代になってきている気がします。海外で仕事をする理由も単純で、自分の料理を喜んでくれる人がいるから。料理も、お酒も、店や会社を営むことだって、美意識や目指すものをわかってもらって、認められて、はじめてブランドや価値に変わっていくのだと思います。

バランスも挑戦や飛躍も
豊かさのために「軸」が必要

僕は、唐木さんが自分のビジョンに向かってまっすぐ走っていくのを見て、七号酵母だけで勝負したいと思う一つのきっかけになりました。唐木さんの料理はすごく繊細なんですよね。そんな料理にこそ、七号酵母でつくったお酒は合うはずです。唐木さんからみて、最近の真澄の酒の味わいはいかがですか?

唐木:酒造りで使用する酵母を全て七号酵母にしたことで、前にも増してすごく味がピュアになった。酵母以外の個性が際立つようになったとでもいうのかな。自分で飲んでみてもそうだけど、今までの真澄のイメージを覆して、お客さんにもすごく評判がいいですよ。  季節物があるのも、お客さんに勧めやすいですね。お客さんの好みの変化としては、30代から40代のお客さんだと、軽さの中に香りを感じるタイプのお酒を選ぶ人が多い。どっしりしたタイプはあまり好まれなくて、逆に甘酸っぱいお酒が受け入れられる傾向がありますね。うちでは、おりがらみのスパークリングの受けがいいけれど、昔では考えられないです。

そうなんですよね。かつて酸味を感じるお酒は「もうダメになっているんじゃない?」と敬遠する方も多くいました。

唐木:日本酒が好きな人は、醸造年による味の違いも楽しむようになっていますね。

ワインでは昔からそういう楽しみ方が顕著なので、日本酒でも同じようにもっと変化を楽しんでもらいたい気持ちはあります。僕たち日本酒業界が低迷していた理由のひとつは、造り手の個性や哲学を消した酒造りをしてきたからだと思います。ここ最近はおいしいことは絶対条件でありつつも、各酒蔵が持っている個性や哲学を落とし込んだ酒質設計が求められているように感じます。私たちも上質な食中酒づくりを目指して、七号酵母の可能性をもっと深掘りしていきます。最後に、唐木さんのこれからの展望などはありますか。

唐木:正月には、毎日満席にしたいと毎年思いますけど、だいたい初日から叶わない(笑)。それは商売をやっている以上目標として持っているけれど、お店に来たお客さんが「おいしかった」と言って帰ってくれて、また来てくれれば幸せかな。

唐木さん自身が、幸せや豊かさを感じるのは、どんなときですか。

唐木:好きな仕事ができていること自体が幸せだと感じるし、さっきも言ったように、自分の仕事に価値を見いだしてくれる人がいたときも幸せです。そして、自分自身が何か新しいものを身につける、覚える、見る、聞く……そういう時間が持てていたら幸せだし、豊かだと感じますね。

料理人としての充足感と、個人で豊かな時間を過ごすこと、きっと両方のバランスがうまくとれることが唐木さんにとって大切なことなんですね。

唐木:そうですね。バランスの重要性は、昔から考えていることです。ずっとスキーをやっていたんだけれど、スキーって前後左右のバランスが一番大事なんですよ。味のバランスとか香りとか、心のバランス、体のバランス。全てにおいてバランスが取れてるときに幸せはあると思う。軸がないとバランスは取れない。真澄のお酒も七号酵母という軸があるから、いろんな方向に変化していけるのではないでしょうか。

合同会社グッドダイニング │ 無名(むみょう)

〒391-0005
長野県茅野市仲町5-4
TEL05031837272

https://mumyo.jp/

聞き手:宮坂勝彦(宮坂醸造)
写真:五味貴志
構成:小野民

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