Masumi Dialogue
vol.04

情熱の持ち寄りが始まり
マーケット、まち、自然の循環をつなぐ

これからの時代に求められる「豊かさ」に思いを巡らせ取り組んだ大吟醸のリニューアル。各地で豊かさを体現するさまざまな人、もの、場所からインスピレーションを受けてきました。分野は違えど、同じ方向を向き、共に文化を耕していく仲間たちに、あらためて話を聞きにいくシリーズです。

今回は、毎週土日に都市のど真ん中で開かれる「青山ファーマーズマーケット」の運営を昨年まで担ってきた田中佑資さんを訪ねました。「都市の編集者」を謳う会社の新人として、ファーマーズマーケットの運営に立候補した田中さん。マーケット立ち上げから12年の区切りを経て、昨年独立して「ファーマーズマーケット株式会社」を立ち上げました。田中さんから声をかけてもらい日本酒をテーマにした「AOYAMA SAKE FLEA」というイベントに参加してきた宮坂は、新しい日本酒イベントのあり方に感化されたと言います。そこで感じた心地よさの正体とはなんだったのか、マーケットの可能性や、これから実現していきたい豊かさについて、田中さんにうかがいました。

田中佑資(たなか・ゆうすけ)

1985年東京都生まれ、北海道育ち。大学卒業後、 「メディアサーフコミュニケーションズ株式会社」にて、青山ファーマーズマーケットや246 COMMON、COMMUNE 246の企画運営、『NORAH – Farmer’sMarket Chronicle』の編集に携わる。青山ファーマーズマーケットと同時開催している『TOKYO COFFEE FESTIVAL』『RAW TOKYO』『AOYAMA SAKE FLEA』などのイベントの立ち上げや企画運営も担当。2021年、独立して「ファーマーズマーケット株式会社」を設立し代表を務める(現在は青山ファーマーズマーケットの運営は卒業)。
http://farmersmarket.co.jp/

「食」に興味がわいた
風変わりな高校の野球部経験

今いる場所、東京・池袋にある「イケ・サン パーク」は、田中さんが関わった場所なんですよね。

田中佑資さん(以下、田中):はい。実はここは豊島区で最大の防災機能を備えた公園で、40年ぐらいの念願が叶ってできた場所なんです。公園ってハードだけつくっても空間だけだとコミュニティは生まれないので、僕がずっと在籍していた会社、メディアサーフコミュニケーションズ(以下、メディアサーフ)が「ソフトが生きる公園」として立ち上げ時の計画に関わりました。

「循環」「コミュニティ」「小商い」3つをテーマに掲げています。カフェなどから出る生ゴミはコンポストで堆肥にしてから公園の土に返したり、毎週末開かれているファーマーズマーケットに来た農家さんに使ってもらったりできればいいなぁと考えたんです。

田中さんはこれまで一貫して、マーケットの運営や地域づくりを担う仕事をしているわけですが、どのようなバックグラウンドで今のような生業にいきついたのですか。

田中:高校時代の経験は大きいかもしれません。札幌市内になる単位制の公立高校で、制服もないとても自由な校風でした。「8割出席して、テストで決められた点数以上を取れば単位はとれるから、君らには2割休む権利がある」って言ってくれる。だから授業を休んで野球の練習をすることもありました。

さらに、所属していた野球部がすごくおもしろくて、卒業生も結構活躍しているんですよ。最近だったら、島根県海士町に「エントウ」というホテルができたんですが、その代表をやっているのも野球部の2学年先輩です。

野球に打ち込みながらも、他の分野にも視界が開けるような経験があったのでしょうか。

田中:野球部の監督が部員にいろんな本を渡してくれるんですが、その中でも特に印象に残った一冊に『野球食』という本がありました。野球が上手くなるためにはどんな食事が必要か書いてあるシンプルな本です。自分で実践してみるとすごく効果があったし、じいちゃんばあちゃんが農家で野菜やお米を送ってくれていたのも重なって、もっと食について知りたいと思うようになりました。

野球部には窮屈な上下関係もなく、いかに効率的な練習メニューでやるか部員自身が考えたり、練習の前後には意見交換するミーティングが毎日あったり、部自体のあり方が建設的な雰囲気だったのもよかったです。

部活での経験が「食」への関心を引き起こしたとは面白いですね。

田中:大学は、「おもしろい人が多そう」という理由で上京しました。学生の時にアルバイトで拾ってもらったのが創業間もない「ソウ・エクスペリエンス株式会社」です。

同時期に、個人の活動としていろんな農家さんのところに泊まりがけで行っていました。そうすると、知らないことがいっぱいあったんです。朝、鶏舎で産みたての卵を取らせてもらって食べた玉子かけご飯のおいしさに感動したこともありましたね。

行く先々で農家さんと話していて気づいたのは、独自のやり方・考え方で農業を営んでいる人ほど、いわゆる世の中の基準や規格に合わなくなる。したがって、自分でお客さんを見つけないといけない。この課題を解決するために、農家とお客さんが出会う場所が必要だと思いました。

卒業後は、前述のメディアサーフが創業したタイミングで、そこで働かせてもらうことになりました。学生時代にアルバイトしていたソウ・エクスペリエンスの方たちがつないでくれた縁でした。

メディアサーフは、「都市の編集者」としてさまざまなプロジェクトに関わる会社です。創業者の黒崎輝男さんに農家とお客さんが出会う場所づくりの必要性や考えていることを話したら、「君が一歩踏み出せば、次の一歩が見つかるはず。まだ仕事がないからそんなに給料は払えないけど、とりあえずやってみたら」と。

週末は宅配のバイトでお金を稼いで、平日はみなさんを手伝って。そうこうしてるうちに、東京・表参道にあるGYRE(ジャイル)というビルの地下で、2008年11月に最初のファーマーズマーケットが始まりました。

続けるうちに見えてきた
出会いの場としてのマーケットの可能性

表参道の国連大学ビル前で、毎週土曜と日曜にたくさんの生産者が軒を連ねるわけですが、最初はビル地下での開催だったんですね。

田中:最初は、ビルの飲食フロアを盛り上げるための一企画として発案され、「僕がやりたいです」と立候補して担当になりました。当初は出店者が5軒で月1回。それが半年ぐらいして月2回になって、さらに半年も経たないうちに、農水省からマーケットやマルシェに対する助成金がもらえることになりました。その資金をテントなどの購入費に充てて、2009年9月から毎週土日に国連大学前で開催するようになりました。

コロナ前は平均して100軒ほどの出店者さんが来てくださっていて、そのうち30〜40軒が生産者さんの店でした。

すごい勢いだったんですね。私が東京に住んでいたのが社会人になった2009年4月から2年間で、青山でファーマーズマーケットが始まったと聞き行ってみたのを覚えています。私は学生時代に、弊社の得意先や販売店のあるニューヨークやサンフランシスコに行っては、ファーマーズマーケットはおもしろいと感じていたので、日本でも開かれればいいと思っていました。青山ファーマーズマーケットは青山らしい人たちが集まって、いい雰囲気で買い物をしていると感じましたね。

田中:続けられるかわからなかったから必死でした。例えば、サンフランシスコのファーマーズマーケットと日本のマーケットの根本的な違いは、「カリフォルニア州」の単位がめちゃめちゃ大きいこと。「カリフォルニア=日本」くらいの気候や土地の多様性などが含まれています。

日本の場合は出店者は関東に限定せずに広い範囲で考えています。東京の青山でやる意味は、発信場所としての機能。視野を広げるために、いろんな人が訪ねて来やすいのがいい。出店者さんのなかには、遠いところでは北海道やカンボジアの胡椒農家さんもいらっしゃいますよ。

出店者の農家をはじめとした生産者の方々にとって、青山ファーマーズマーケットってどんな場所なんでしょうか。

田中:いきなり来てすぐにたくさん売れるものではないので、来る手間や交通費、出店料なども考えると決して簡単なものではありません。でも、続けるとファンができて、売り上げも安定してくるんですよね。

農家に限らず、ものづくりをしてる方にとって、自分のお客さん、ファンを持つことはすごく重要です。一軒の農家であれば毎週農産物を買ってくれる人が100人いれば成り立つ。でも、どうやってそのコミュニティをつくっていくのか。そのひとつの方法として、対面でコミュニケーションを取るのはすごく大切です。

定期宅配するお得意さんと出会えるかもしれないし、飲食店とつながれたら安定した販路ができるかもしれない。僕らは売り場をつくるというよりも、コミュニケーションの場をつくっているんだと思います。

もちろん、いろんな考え方があって、出店料ひとつとっても決めるのは大変でした。売り上げ歩合の方が出店者の負担も少ないからいいんじゃないかという考え方もある。だけど、売上歩合にすると「こちらもなるべくマーケットで買って欲しい、売れて欲しい」と欲が出るので出店料は出店する生産者のマーケティングの費用であると考えてほしいと思い固定にした経緯がありました。

これだけの規模とクオリティを毎週回し続けるというのは相当大変そうです。

田中:めちゃくちゃ自分たちのマンパワーを注入していました。でも、続けていくうちに慣れてくるものです。最初は設営のために朝6時に20人集まってたんですけど、今では朝7時に6〜7人で設営を始めれば間に合うぐらいになってきましたから。

私が田中さんと出会ったのは、「AOYAMA SAKE FLEA」というお酒のイベントを開催してくれた2014年ですね。数多くの日本酒イベントに参加してきましたが、AOYAMA SAKE FLEAの心地よさやお客様との距離感の良さは革命的でした。春と秋の年二回参加することで、お客様やボランティアスタッフの方とも関係性が出来てきたし、同年代の人たちとシーンをつくれている実感が楽しかったです。酒蔵同士の横のつながりも増しました。

何にも増してよかったのが、メディアサーフのスタッフの人たちが、すごく職人やお酒に愛を持って接してくれていると感じたこと。他にはない居心地の良さ、安心感がありました。でも日本酒をテーマとしたイベントを行おうと思ったきっかけはあったんでしょうか?

田中:青山ファーマーズマーケットは5周年を迎えていて、AOYAMA FOOD FLEAという、食の多様性をテーマにしたイベントを開催するなかの酒部門の位置付けでした。通常のマーケットから派生して生まれた一番最初の企画は「青山パン祭り」でした。「マーケット」が生活の延長にあると考えると、おいしいパンも食べたいし、こだわりの酒やコーヒーが飲めた方が嬉しい。食べ物を通じてさまざまな国や地域の食文化を感じるのも楽しいですよね。そういった食卓にある豊かさを、さまざまな分野のつくり手の人たちが集まる場で実現したかったんです。

日本酒については、当時の僕はめちゃくちゃお酒が弱くて何も知らなかったから、和歌山県の「紀土」蔵元の山本典正さんを紹介してもらって。日本酒のおもしろさや奥深さを知ると共に、かっちゃん(宮坂)みたいな同世代の仲間もできた。僕自身が「SAKE FLEA」を通じて一番変わったかもしれません。

日本酒の世界を知らなかった人でも試飲できる場があれば、新しい世界を開拓できる。日本酒目当てに来た人たちは、酒以外のモノやコトに出会える。好きなものが広がっていくきっかけをつかめる場をつくれたと思っています。

「マーケットを起点にまちができる」
新しい会社で、知識と予感を実践に変えていく

青山ファーマーズマーケットやAOYAMA SAKE FLEAは、新たな豊かさを創造したと思っています。次の舞台を目指し、このたび独立して「ファーマーズマーケット株式会社」を立ち上げたそうですが、この会社を通じてやっていきたいこと、思い描く未来はどんな物なのでしょうか。

田中:マーケットを運営するおもしろさが何かといえば、つくり手の人たちの情熱に触れられること。それぞれつくりたいものやしたい表現があります。「この人は唐辛子だけで年間100種類も育ててるんだ」、「お酒でこういう表現の仕方があるんだな」とか。

一人ひとりが「好き」を追求していける状態を実現することが、僕が考える豊かさです。自らの好きを追求しながらも、周囲への配慮ができる状況をつくっていけば、結果的に自分の心地よさにもつながると思います。

自分が好きなものや情熱を持てるものと、社会問題や環境問題への解決策を繋げていけたらいい。そうしたコミュニティづくりに興味があります。

マーケットは「まち」の最小単位。実際、「市(いち)」と書いて「まち」って読むらしいんですよ。得意なものを持ち寄った市が発展してまちになっていった。これまでやってきたマーケット(市)をつくる仕事を、コミュニティやまちづくりの仕事にアップデートしていきたい。今までは食が中心でしたが、エネルギーや住宅もテーマにしていきたいですね。

具体的に動き出していることもあるんですか。

田中:とある大学とマーケットをするお話や、街づくりに関わる相談もいただいています。その過程も学びの場にして行ければいいな、と。加えて今自分たち家族が住んでいる世田谷でも、5月にマーケットを開催できたらと準備中です。

大学生よりさらに年齢が下、小学生から参加できてもいいですね。一方で、社会人だって商いを始めたり、そこからつながる都市に関わっていきたい人はたくさんいそうです。今、都市に人はたくさんいるけれど、みんな社会や自然との接点を持ててないようにみえるマーケットづくりを通じて社会や自然との接点を持ちたいと思う人は多いのではないでしょうか。

田中:そうですね。社会や自然との接点として、「食」があると思います。青山ファーマーズマーケットが始まった10年くらい前から、メディアやアートに携わっている人たちの関心が食に向かったのは、可能性を感じ始めたからでしょう。大きすぎる課題に対して、身近で誰にとってもメディアになり得るものが食。それは世界的な傾向だと思います。

マーケットが発展したまちの視点で考えるなら、事後的に「マーケットを開催する」というソフトの部分だけでなく、その舞台になる公共空間や住宅などのハードも一体でデザインしていかないといけません。いくつかハードから関われそうなお話もあり、力を入れて取り組みたいと思っています。

さらに、人が住む環境を整えていこうと考えたら、本当は山、森、海などのことも考えなくちゃいけない。森とつながりがあって、まちには個人店があって、広場もあって。そんなコミュニティや場をつくっていけたら、まちだけじゃなくて日本全体にとって価値があることです。

思い描くコミュニティには、林業、造園、建築、マーケットのオーガナイザー……それぞれスペシャリストが必要だと思うので、彼らの間をつなぎ、編集していきたい。つないでいくときは、ビジョンは持ちながらも柔軟に粘り強く。それが昨年までの12年間、僕が青山ファーマーズマーケットを中心にやってきたことの強みな気がしているんです。

ファーマーズマーケット
株式会社

〒154-0011
東京都世田谷区上馬5-15-15
THE FORUM setagaya

http://farmersmarket.co.jp/

聞き手:宮坂勝彦(宮坂醸造)
写真:土屋誠
構成:小野民